Bjørn Wiinblad その3

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1961年、Bjørn Wiinblad はコペンハーゲンに新しく建てられたIllums Bolighusにて

個展を開きます。これは当時のメディアで大きく取り上げられました。

その他、有名レストランのメニューカードのデザイン、シアターのコスチューム、海外のホテル

(ロンドン、ヒルトンホテル他)の内装など活動の場が広がります。

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同じ頃、愛車に乗って、古くからの友人と一緒にヨーロッパ各国を回り、プロモーションもしています。

同行した友人曰く、“旅先から帰国したらその翌週にはすぐにまた出張に出よう!ととにかく

フットワークが軽かった。”とのこと。

Bjørn Wiinblad は生涯独身でした。

そういった意味でも、のびのびと制作活動に集中できたのかもしれませんね。

1965年にはお馴染み、12枚のシリーズ、マンスリープレートがニモール社から発売されました。

瞬く間にベストセラーになり、沢山のデンマークの食卓を彩ります。

続いてニューイヤープレートや、四季シリーズ、東西南北、太陽と月、朝昼晩など

シリーズ化された作品をデザインしました。

1960年代後半にはアメリカにて個展が開かれます。

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1971年代にデンマークの老舗スーパー、Irmaのコーヒー缶をデザイン。

デニッシュデザイナーというシリーズで限定30000個が発売されました。

こちらの缶は時々ペタペタのお店にも入荷しています。人気のヴィンテージ缶です。

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同じ年にコペンハーゲンのウスタブロ地区にブティックをオープン。

デンマーク王立バレエの演目、くるみ割り人形のシーンや衣装も担当しました。

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1974年、デンマーク国内最高峰の職人に与えられる賞を受賞。

写真の後方には若かりし頃の女王様も写っています。

1976年にはニモール社での勤続30周年を迎えました。

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1976年11月の新聞に掲載された記事。

Bjørn Wiinblad がデザインしたローゼンタール社のクリスマスプレートについての記事です。

1971年に発売されたクリスマスプレートですが、5年経った今、当時の価格よりも10倍以上の

値打ちになっているということで、投資に良いという内容です。

Bjørn Wiinblad の友人が数々の作品を生み出すことについて、彼の作品は希少価値に値する才能が

あるのだから、大量生産のデザインは止めて、方向を変えていけばよいのでは?と

尋ねた際、Bjørn Wiinblad は“希少価値ではなく、僕の夢は世の中の沢山の人に自分の作品が

広がっていくことなんだ。”と話したそうです。スタジオラインについては数が少ないですが、

その望み通り、ニモール社でデザインしたマンスリープレートを初め、彼の作品は人々の生活

に浸透していました。

寝具やテーブルクロス、クロスステッチ本にタイル…分野を限定せずにあらゆる作品を生み出した

Bjørn Wiinblad はデンマークの国民的デザイナーに成長しました。

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アーノルド・シュワルツェネッガーのBjørn Wiinblad にまつわる記事です。

何でも彼はBjørn Wiinblad の大ファンで作品をコレクションしています。

デンマークだけでなく、彼の作品は世界中にファンがいたのですね。

Bjørn Wiinblad デザインの素敵な刺繍。お店にも入荷しています。

 

 

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Bjørn Wiinblad その2

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ミュージアムでBjørn Wiinblad展を見て以来、彼の多彩な才能に圧倒され、会場内のドキュメンタリー

映画を見て、ますますBjørn Wiinbladファンになった私。

そこで彼のデザインの歴史を振り返ってみました。

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Bjørn Wiinbladは1918年、コペンハーゲン生まれ。

1940年から43年にかけて王立アートアカデミーにて美術を学びます。

入学当初イラストレーターになる夢を描きつつも、アカデミーでは陶芸のテクニックも学びました。

その後、絵本を出版します。

1946年よりデンマークの陶器メーカー、ニモール社にてデザインを始めました。その後同社とは30年以上、

様々な作品を作り出します。

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同じ年にミュージックウィークのポスター“Spil Selv”を制作。

このポスターをきっかけにオファーが舞い込み、海外でのイラストの仕事も始めました。

その後“千夜一夜”の挿絵を描いたりと、イラストレーターとしての仕事が軌道に乗ります。

同じ頃、“Spil Selv”のポスターがきっかけで、その才能が認められ、劇場のデコレーション

の仕事を担当します。シーンや衣装など多彩な分野で活躍しました。

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1950年には、これもまた“Spil Selv”のポスターの影響で、パリにあるアメリカ大使館の

ポスターの仕事を請け負いました。才能ももちろんですが、とても運のよい人だなあと思います。

誰もが彼のイラストに惹きこまれていったのでしょう。

1950年代に入ってからは陶芸でも才能を開花させます。

1952年には自身のアトリエを構え、陶芸も本格的に。

1955年にカンヌで行われた第一回国際陶芸フェスティバルで銀賞を受賞。ちなみに金賞を

受賞したのはスウェーデンのStig Lindbergでした。

1957年からドイツのローゼンタール社でもデザインを開始します。ちょうどスタジオラインを

製造するにあたり、デザイン、芸術に焦点を当てた作品&高級ラインということで、

Bjørn Wiinbladは陶器だけでなく、ガラス製品、カトラリーなど幅の広いデザインを手がけました。

ローゼンタール社では約50年と長きにわたり、チーフデザイナーとして活躍します。

 

 

 

 

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Bjørn Wiinblad その1

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Arkenミュージアムにて。

可愛らしいパステルの中に、Bjørn Wiinbladの鮮やかなペイントが素敵です。

色合いが素敵ですね…若い世代にも人気が出ているのも納得です。

会場内には彼が手がけた数々の作品が展示されていました。おなじみのものから初めて

見るものまでBjørn Wiinbladワールド炸裂で、見ごたえがあります。

この日はお天気があまり良くなかったこともあり、中に入ると私たち意外にほとんど

人が居なくて、シーンとした中での鑑賞でした。ゆっくり鑑賞出来たのは良かったのですが、

警備の方のほうが多かったこともあり、写真を撮るのはマナー違反かなと思い、

結局写真撮影はしませんでした。

本当は声をかけて確認すれば良かったのかもしれませんが、今回展示されているもの

についての写真集がありましたので、その中から作品を紹介させて頂きますね。

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これ、何だか分かりますか?手織りの織物です。会場でも目を引いた一点。

人が立っているので大きさが分かって頂けるかと思いますが、かなりの大作。

千夜一夜のモチーフで大変手が込んでいます。

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ポルトガルの職人さんが手がけている様子です。1970年ごろですのでもう45年以上前の作品です。

時間と手間をかけて作られた作品は本当に素敵ですね。

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おなじみのマンスリープレートももちろん飾られていました。Bjørn Wiinbladと言えば、

このプレート。

最近ではヴィンテージ好きの若い世代のインテリアに取り入れられています。

このシリーズは1965年にニモール社から発売されました。発売後すぐに人気が出て、

デンマークの家庭に浸透していきました。主人の親せきの家を訪ねた際にも、かなりの確率で

このプレートを見かけることがあります。

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陶器やポスターなど、Bjørn Wiinbladの多彩な才能の数々がこの展覧会で垣間

見ることが出来ました。

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館内ではBjørn Wiinbladの生涯を映画で紹介されており、作品だけでなく、彼の人柄などにも

触れることが出来ました。

フィルムルームもほぼ貸切状態でしたので、ゆっくりと堪能します。

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ミュージアムにはカフェもあり、食事やお茶を楽しむことも出来ます。

すぐ横は海ですので鑑賞した後は浜辺を散策しても気持ちがいいのでお勧めです。

来年1月17日まで開催されていますので、もしデンマーク旅行を検討されている

方はミュージアムにも行かれてみてはいかがでしょうか。

Bjørn Wiinbladがお好きな方にはきっと満足していただけるかと思います。

次回はBjørn Wiinbladの経歴について書きたいと思います。

 

 

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