クッキーデコレーション

家族ぐるみで親しくさせて頂いているアメリカ人ファミリーから

クッキーデコレーションをするからとお招き頂き、行ってきました。

デンマークでも12月に入ると義母は孫を集めて大量のクッキーを

一日かけて焼きます。素焼きのクッキーを缶に詰め、我が家にも毎年

送ってくれるのですが、今回はアメリカ式。

クッキーを焼くのがメインではなく、デコレーションをするのがメインです。

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トレイだけでなく、洗面器のような大きなボウルにまで溢れるほどクッキーが

用意されていました。数日に分けて焼いたそう。

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毎年デコレーションをするのが恒例行事らしく、大人も子供も真剣にデコレーションを

します。秋頃からこの行事について話しており、この日は総勢20人ほど集合。

アイデア豊富なトッピングの数々に、子供たちも夢中になり、

最初は英語を話すのを恥ずかしがっていましたが、徐々に馴染んでいきました。

それにしてもすごい色のアイシングです。

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デンマークのシンプルなクッキーに比べると、とにかくカラフル!

我が家ではクッキーを焼いてもいつも素焼きで、子供たちにアイシングを

させたことがなく、今回が初めての経験でしたので、子供たちも豊富な

デコレーションを楽しみました。

クリスマスツリーのデコレーションも派手で、元気いっぱいのアメリカ式

クリスマス。デンマークでは電飾のデコレーションはせずに、我が家では

毎年本物のキャンドルに火を灯し、火を気にしつつ、こわごわダンスをする

というと、文化の違いを驚いていました。

出来上がったクッキー、私は一枚食べきれず、主人や子供はぺろりと食べます。

甘いものが好きなのはアメリカもデンマークも共通しているんですね。

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Bjørn Wiinblad その4

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個性的な表情を描くBjørn Wiinblad のイラスト。こちらはチボリのポスター。

さて、80年代も衰えることなく、あちこちで活動するBjørn Wiinblad 。

1982年の新聞にはBjørn Wiinblad の海外での成功の記事が載っています。マンオブザイヤー!in USA.

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Wiinblad ハウスがアトランタ、フェニックス、ビバリーヒルズなどのアメリカの都市、

アジアではシンガポール、東京、大阪、京都などで彼の作品が取り扱われました。

70年代には高島屋のクリスマスの包装紙なども手掛けたこともあるので、

日本にはその頃からのコレクターさんもいらっしゃるのではないでしょうか。

アメリカで賞を受賞したり、ニューヨーク、タイムズスクエアの劇場のデコレーションを手掛けたり

と80年代も多忙を極めて世界中で仕事をしていました。

フランスでもビスケットで有名なLUの100周年記念パッケージも手掛けたそうです。

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チボリの初代クリスマスポスター。

沢山紹介しましたが、これ以外にも生涯を通して数々の作品を残されました。

小さいものはクリスマスシールからBjørn Wiinblad の作品はデンマークの至る所で出会うことが

出来ます。アーティストとして長きに渡り大成功を収めた素晴らしい人生を歩まれました。

Bjørn Wiinblad は2006年に87歳で亡くなられましたが、彼の作品が作られた家、ブルーハウスが

2010年より一般公開されています。

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Bjørn Wiinblad の作品だけでなく、彼が収集したモノも沢山展示されています。

今回のArkenミュージアムにも展示されていましたが、コレクションの中に

仏像の頭が沢山ありました。

日本の骨董品で海外の方に人気のアイテムだと、以前聞いていたのですが、

Bjørn Wiinbladもコレクションしていたとは驚きました。

買付の際に子供の頃にBjørn Wiinblad の作品に囲まれて育ったので、もう彼の作品は

お腹が一杯なのよ…という年配の方の話を時折聞きます。

それほど50代60代世代にはかなり浸透していたのでしょうね。

長い間現役であらゆるデザインを生み出していたので、その年代の方はいつも彼の

イラストを目にする機会があったのでしょう。

しかし、最近では若い世代がおじいさんおばあさんから、受け継いだBjørn Wiinblad

のヴィンテージの作品を現代のインテリアに合わせている様子をインテリア雑誌などで

よく見かけます。

2014年にはローゼンタール社が彼の作品のライセンスを買い取り、現在では新たな

現行品が出ています。

そんなこんなでこれからも彼の作品は、残されていくことでしょうね。

世界が愛したBjørn Wiinblad の作品、これからもお店に少しずつ入荷していきたいと思います。

 

 

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Bjørn Wiinblad その3

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1961年、Bjørn Wiinblad はコペンハーゲンに新しく建てられたIllums Bolighusにて

個展を開きます。これは当時のメディアで大きく取り上げられました。

その他、有名レストランのメニューカードのデザイン、シアターのコスチューム、海外のホテル

(ロンドン、ヒルトンホテル他)の内装など活動の場が広がります。

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同じ頃、愛車に乗って、古くからの友人と一緒にヨーロッパ各国を回り、プロモーションもしています。

同行した友人曰く、“旅先から帰国したらその翌週にはすぐにまた出張に出よう!ととにかく

フットワークが軽かった。”とのこと。

Bjørn Wiinblad は生涯独身でした。

そういった意味でも、のびのびと制作活動に集中できたのかもしれませんね。

1965年にはお馴染み、12枚のシリーズ、マンスリープレートがニモール社から発売されました。

瞬く間にベストセラーになり、沢山のデンマークの食卓を彩ります。

続いてニューイヤープレートや、四季シリーズ、東西南北、太陽と月、朝昼晩など

シリーズ化された作品をデザインしました。

1960年代後半にはアメリカにて個展が開かれます。

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1971年代にデンマークの老舗スーパー、Irmaのコーヒー缶をデザイン。

デニッシュデザイナーというシリーズで限定30000個が発売されました。

こちらの缶は時々ペタペタのお店にも入荷しています。人気のヴィンテージ缶です。

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同じ年にコペンハーゲンのウスタブロ地区にブティックをオープン。

デンマーク王立バレエの演目、くるみ割り人形のシーンや衣装も担当しました。

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1974年、デンマーク国内最高峰の職人に与えられる賞を受賞。

写真の後方には若かりし頃の女王様も写っています。

1976年にはニモール社での勤続30周年を迎えました。

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1976年11月の新聞に掲載された記事。

Bjørn Wiinblad がデザインしたローゼンタール社のクリスマスプレートについての記事です。

1971年に発売されたクリスマスプレートですが、5年経った今、当時の価格よりも10倍以上の

値打ちになっているということで、投資に良いという内容です。

Bjørn Wiinblad の友人が数々の作品を生み出すことについて、彼の作品は希少価値に値する才能が

あるのだから、大量生産のデザインは止めて、方向を変えていけばよいのでは?と

尋ねた際、Bjørn Wiinblad は“希少価値ではなく、僕の夢は世の中の沢山の人に自分の作品が

広がっていくことなんだ。”と話したそうです。スタジオラインについては数が少ないですが、

その望み通り、ニモール社でデザインしたマンスリープレートを初め、彼の作品は人々の生活

に浸透していました。

寝具やテーブルクロス、クロスステッチ本にタイル…分野を限定せずにあらゆる作品を生み出した

Bjørn Wiinblad はデンマークの国民的デザイナーに成長しました。

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アーノルド・シュワルツェネッガーのBjørn Wiinblad にまつわる記事です。

何でも彼はBjørn Wiinblad の大ファンで作品をコレクションしています。

デンマークだけでなく、彼の作品は世界中にファンがいたのですね。

Bjørn Wiinblad デザインの素敵な刺繍。お店にも入荷しています。

 

 

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