Bjørn Wiinblad その2
ミュージアムでBjørn Wiinblad展を見て以来、彼の多彩な才能に圧倒され、会場内のドキュメンタリー
映画を見て、ますますBjørn Wiinbladファンになった私。
そこで彼のデザインの歴史を振り返ってみました。
Bjørn Wiinbladは1918年、コペンハーゲン生まれ。
1940年から43年にかけて王立アートアカデミーにて美術を学びます。
入学当初イラストレーターになる夢を描きつつも、アカデミーでは陶芸のテクニックも学びました。
その後、絵本を出版します。
1946年よりデンマークの陶器メーカー、ニモール社にてデザインを始めました。その後同社とは30年以上、
様々な作品を作り出します。
同じ年にミュージックウィークのポスター“Spil Selv”を制作。
このポスターをきっかけにオファーが舞い込み、海外でのイラストの仕事も始めました。
その後“千夜一夜”の挿絵を描いたりと、イラストレーターとしての仕事が軌道に乗ります。
同じ頃、“Spil Selv”のポスターがきっかけで、その才能が認められ、劇場のデコレーション
の仕事を担当します。シーンや衣装など多彩な分野で活躍しました。
1950年には、これもまた“Spil Selv”のポスターの影響で、パリにあるアメリカ大使館の
ポスターの仕事を請け負いました。才能ももちろんですが、とても運のよい人だなあと思います。
誰もが彼のイラストに惹きこまれていったのでしょう。
1950年代に入ってからは陶芸でも才能を開花させます。
1952年には自身のアトリエを構え、陶芸も本格的に。
1955年にカンヌで行われた第一回国際陶芸フェスティバルで銀賞を受賞。ちなみに金賞を
受賞したのはスウェーデンのStig Lindbergでした。
1957年からドイツのローゼンタール社でもデザインを開始します。ちょうどスタジオラインを
製造するにあたり、デザイン、芸術に焦点を当てた作品&高級ラインということで、
Bjørn Wiinbladは陶器だけでなく、ガラス製品、カトラリーなど幅の広いデザインを手がけました。
ローゼンタール社では約50年と長きにわたり、チーフデザイナーとして活躍します。